2012年10月27日土曜日

びざん便り10月27日

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『四国 八十八ヶ所の八十八の名称はいつから?』

今日も秋空、周囲の山々がクッキリ。吉野川の川霧が発生。
朝焼けが出ているので下り坂か。少し長いが、昨日の続編。

四国大学の田中省造先生の講義は奥深い。要約も至難、結論は、
『コースが整えられたのが室町時代か?』『名称の成立』は不明。

『八十八の名称はいつから?』
1、弘法大師説:大師著『三教指帰』など、八十八の記載なし。
2、大師入寂後弟子、弟子の巡拝説:高層や衛門三郎の伝説。
3、鎌倉時代説:醍醐寺文書(13C)「四国辺路」が『四国』の初見。
4、室町時代説:高知県本川村地蔵堂鰐口銘「八十八ヶ所」銘。
5、江戸時代説:澄禅著『四国遍路日記』八十八の記載なし。
6、江戸時代1689年、『四国遍礼霊場記』
    75番善通寺に始まり65番三角寺『94箇所社寺』紹介。
『何故、八十八ヶ所か』
1、陰陽の数字説
  八は再出発の数、物事がいったん完成し、そこから再スタート。
  人が成長し、次の一歩を踏み出すという考えから。
2、五穀豊穣説
  米を分解すると八十八、農耕民族である人々が、
  米を含めた作物の五穀豊穣を祈ることから発生。
3、厄年の合計説
  
  厄年は、男42、女33、子供13、合計すると八十八、
  成長に感謝し八十八ヶ所を巡拝した。
4、煩悩説
  人間の持つ煩悩は八十八、満願成就すると煩悩が消滅。

室町時代の鰐口に「八十八ヶ所」表記が高知県本川村の残る。
これが最初の「八十八ヶ所」だが、今後の研究がまたれるようである。



 



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